Ma petite piece blanche

私の白い小さな部屋

 この部屋は私のスケール模型の過去の製作品を集めた、とてもちいさな展示場です。  
 2006年の8月4日(金曜日)「ショウキさま」が私のデスクトップにやってきました。

タカラマイクロワールドより「UH-60J」です。よみがえる空で一躍有名になりましたが、特徴的な黄色と白の救難塗装は、
ブルーグレ系の配色に変更され近いうちに姿を消すようで寂しいですね。

「TA-152H-1」と「P-47D」を置いてみました。
3月14日にW・デイを頂く予定が結構早まりましたので。


フォッケ・ウルフFW189「ウーフー」


全長: 12.03m
全幅:18.40m
総重量:3950kg
エンジン:アルグス社・AS410A-1・ 空冷倒立V型12気筒エンジン/2基/各465hp
最高速度: 334km/h
航続距離 :670km
兵装 :50kg爆弾×4/MG81 7.9mm機銃×*2/MG17 7.9mm旋回機銃×1
乗員: 3名

1937年にブローム&フォス社のブローム&フォスBv141と競争試作した偵察機です。
空軍より単発という条件が出されていましたが、フォッケウルフFw189は双発で双胴の機体を開発しました。

乗員は2つの胴体の中間に位置する乗員用ゴンドラへ搭乗し操縦と偵察を行いました。
機体は外見以上に丈夫で高い生存性を確保できました。
一部の機体には軽装甲が施され軽攻撃機としても使用されました。
生産は1941年から開始され、864機が生産されました。

(模型はエア・フィックス1/72)

この作品は一昨年(2003年)に製作しました。

視界優先で、機首の枠に分散して配置してあるはずの、

コクピットの計器板を自作した程度で、特別に大きな改造はしていません。

比較的出来の良い機体で、大きなストレスもなく組上がります。

 

Bv141 V1
試作偵察機 ブローム&フォスBv141

航空史上、最も左右非対象な飛行機。
この機体は1937年にドイツ空軍から「3座で全方位視野良好な偵察機」という仕様で
各社に開発指示が出され、それに応えてブローム&フォス社が開発した偵察機です。

とにかく、軍からの要求が可能な限り良好な視界を持つ単発機というものであったため、
このような世にもまれな完全に左右非対象な機体となりました。
乗員は胴体から離された位置にある乗員用ゴンドラへ搭乗し操縦と偵察を行いましたが
しかし、この試作において採用されたのは軍からの「単発」という要求を無視したかたちとなった
双発のFw189で、Bv141も少数機生産され試験的に実戦配備されたものの、
やはり、その形態から来る操縦性能の不安定さが問題となり量産されることはありませんでした。

厳密に言えば、左右非対称という機体はけっこう多く、
九七式司偵は主翼が左右で後退角も上反角も異なっていますし、
F4Uのように垂直尾翼がどちらかに傾いているというものなどははけっこうありました。
 なお、写真の原型1号機(V1)は段付きの普通の機首をしており、
垂直尾翼も左右対称で、むしろ後からもっと特異な形態に改修されたのでした。
(写真下)。
諸元 B−0
全幅(m) 17.46
全長(m) 13.95
全高(m) 3.6
翼面積(u) 53
空虚重量(s) 4,700
全備重量(s) 5,700
エンジン BMW801A 空冷複列星型14気筒 1560馬力:単発
最大速度 370Km/h
実用上昇限度 10,000m
航続距離 1,200Km/h
兵装 50kg爆弾×4
MG15 7.9mm機銃×1
MG17 7.9mm旋回機銃×2
生産機体数 12
乗員 3名


ミル Mi-1 (西側コードネーム:Hare"ヘア"/野うさぎ) 

1948年ミルもヤコブレフと競争して、同じ2〜3人乗りの連絡用ヘリコプターの設計に乗り出した。
これまたシコルスキー社の「S-51」を模したもので、主ローター機構は英ブリストル171にならっていた。
初飛行は1948年9月頃。
51年に量産化され、ソ連最初の実用ヘリコプターとなった。

エンジンはイフチェンコAI−26V(575hp)。自重1,760kg、総重量2,550kg。
開発試験中に最大190km/h、地上効果内ホバリング高度3,350mの記録を作った。
ソ連軍への配備は51年末から。

1961年には少数のMi-1モスクビッチが作られた。
同機は政府高官の乗用機で、旧来の木製羽布張りのローター・ブレードが金属製に変わり、
キャビン内部は厚い壁で防音され、油圧操縦装置と最新の計器類をそなえたデラックス機であった。

 なおMi-1は1955年からポーランドで製造されるようになった。
同機はSM-1と改称され、1,700機以上が作られた。そのうち250機はソ連へ逆輸出されている。また61年からは改良型5人乗りのSM-1Wが量産に入った。
Mi-1の総生産機数は、ポーランドの分も含めて、2,500〜3,000機と見られる。
 

 

もう10年以上前に製作したMPMの1/72キットですが、1/48のチェコ・スロバキアの「スペシャル・ホビ」社の
同じ機種の模型と比較して、パーツの合い、隔壁の隙間、正円でないタイヤ、ロータ関連細部の省略など、手間の掛かるキットでした。
キャビンは透明部後部のみ活かして前部をヒートプレス、タイヤはエアフィックス1/72A-!Hスカイレーダーから流用、
ステップ、ピトー管真鍮線自作、ローター関節部自作と、ほぼスクラッチ並みの労力が掛かりました。

 

川崎ベル式 47G3B-KH4型

製造会社 川崎航空機工業株式会社または川崎重工業株式会社(日)
発動機 ライカミングTVO-435-AIA,BIA,DIAまたはDIB×1 国産ターボチャージャー付き
寸度 全幅 37ft1.5in (11.32m)
全長 43ft7.5in (13.30m)
全高 9ft3.66in (2.84m)
性能 最大速度 105mph (169km/h) / 15,000ft
巡航速度 91mph (146km/h)
航続距離 202mile (325km)
旅客積載量 231kg (510lb) / 3名
最大重量 2,850lb (1,293kg)
自重 1,713lb (777kg)

川崎重工によるベル47型のライセンス生産は昭和29年から行なわれていましたが、当時のベル47は馬力に余裕がなく、
2人乗りとなっていました。
その後、ベル社がエンジンを強化したベル47G3Bを開発したことを機に、川崎重工でこれを全面的に改良し、4人乗りとしたのが本機です

ターボチャージャーについては http://www.dmb-ps.co.jp/MiyataAdviser/Bumpingdragon/bumping2/bumping22.htm



これは今から15年前、私が福岡大学2年の時、1990年(平成2年)に福岡県福岡市舞鶴にある
「市立少年科学文化会館」の4階中庭に野外展示されていた、川崎−ベル47(ピストンエンジン)を撮影したもので、
川崎側でターボチャージャーが追加されているようです。

機体は台風等で転倒して児童を怪我させない配慮でしょうか、スキッドを金具留め、ローターを前後方向でワイヤーでタイダウンされています。

なお、銘板は、「川崎ベル47G−KH4」、展示番号は「45−6101:ヘリコプター」と記され、寸法や性能が記載されています。 

以下Panther@飯沼さんより情報提供です。

「自分の会社(西日本空輸)に昔あった機体です。
川崎重工業が、米国ベル社からライセンス権を取得して、エンジンなどにターボチャージャを搭載した機体です。
舞鶴の博物館に行ったのは、運転開始前の不慮の事故で用途廃止になったようです」  
 

 

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